2008年08月18日
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大宮八幡神社をわざわざ迂回する江戸道(府中道)の謎!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 桜上水Confidentialさんの上北沢勝利八幡神社を読んでいたく喜んでしまった話は既に書きましたが、実は前から引っ掛かっていた謎が解けそうな予感がしてきました。更に、今日は散歩で大宮八幡入口交差点から大宮八幡神社の参道に至る道を歩いて神社の前まで行って来ました。行ったから何が分かるという話ではありませんが、歩きながらいろいろ考えました。

 以下は歩きながら撮った参道に至る道です (下記地図のA-B間で西向きに撮影)。

大宮八幡神社参道に至る道

大宮八幡神社をわざわざ迂回する江戸道(府中道) §

 2007年12月14日に下高井戸を貫く江戸道(府中道)の正体は現在の東京都道14号新宿国立線!?という文章を書いています。ここでは、『文化財シリーズ26 甲州道中「高井戸宿」 杉並区教育委員会』の冒頭の「上・下高井戸村図」にある上高井戸村、下高井戸村を東西に貫く江戸道(府中道)はどの道かを考察しています。

 そして、昭和4年の地図を調べ、それらしい道を特定しました。現在の地図上におおまかにマッピングすると、おおむね以下のような感じになります。(前後はもちろん更に続く)

残された謎 §

 この道は、大宮八幡神社にまっすぐ突っ込み、わざわざ迂回して、回りくどい経路になっています。当初、その意味が全く分かりませんでした。

 しかし、大宮八幡神社を以下のように位置づけると、その意味が非常に明瞭に予測可能になりました。

  • 武蔵の国の中心地である府中に至る主要道路上にある
  • 出先機関として地方を統治する政治的な存在。朝廷の威信を示す存在でもある
  • まだ東国にきな臭さが残る時期であり、実際に「康平6年(1053年)に源頼義が前九年の役の帰途、石清水八幡宮から分霊して当地に創建した(WikiPediaより)」とされ、軍事的な側面が意識されていたと考えられる

 つまり、有事にあっては東方から府中に攻め上って来るであろう朝敵を阻止するための防衛拠点としての機能性が意識された可能性が考えられます。とすれば、道をねじ曲げるのは常識的な対処です。道の曲がった部分は防衛に適した場所になります。逆に道をまっすぐ結べば、突破されてしまうリスクが高まります。

 つまり軍事的には、わざわざ道を迂回させることにメリットがあると言えるわけです。

余談・参道の向き §

 更に、参道が東に向いているのも、西の府中を背中に背負って東の者達に威信を示すためと考えれば、納得が出来ます。けして、東の権威に媚びている訳ではないのです。

余談・大宮八幡神社と勝利八幡神社の類似性 §

 大宮八幡神社と勝利八幡神社は、以下のような類似性があるように思います。

  • 建立されたとされる年代が近い
  • 近くに川がある (大宮八幡神社は善福寺川、勝利八幡神社は北沢川)
  • 府中道と呼ばれる道と絡む
  • 周辺道路が不自然に曲がっている

 とすれば、善福寺川と北沢川にあって、神田川にないのはおかしいと思ったのですが、下高井戸八幡神社、熊野神社、貴船神社のいずれも時代が合いません。この件は何とも言えません。

感想 §

 荒玉水道無し! 甲州街道無し! 玉川上水無し! 水道道路も無し! もちろん井の頭線も京王線も無し!

 しかし、いくつかの古道あり! 善福寺川あり! 神田川あり! 北沢川あり!

 そういう時代の地元の様子を考えるのはワクワクしますね。意外な場所が意外な経路でつながったりします。

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